鳩羽つぐ

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  以下は小説家の曽祖父が遺した原稿です。
今まで気にとめることもありませんでしたが、昨今の「鳩羽つぐ」騒動を見てふと気になり、全文を掲示するものです。
  少々古びた表現や、今日相応しくない表現もあると思いますが、原文をできるだけ忠実に示したものとしてお許しください。また走り書きで不鮮明な部分の解釈、個人情報にあたるものを含め、私の一個人上の都合で改変した部分もあります。
  騒動について取材されている報道関係者の方、警察の方等には曽祖父の原稿をお見せ致しますのでご一報頂ければと思います。

  先の大震災も一応の落ち着きを見せた頃、僕はとある在京の精神病院の院長を名乗る男からの連絡を受け、甲府の停車場から中央線に乗った。
  院長の話ではこういうことだった。

「あなたの遠戚のS氏が発狂した。手帳から身寄りを探したら一番近いのがあなただった。甲府から手数であるが来ていただきたい」
  僕はあまり気が進まなかったが、市谷の僕の本を出してる版元の震災見舞いついでにと思い了承した。
  電車の中で僕はS氏のことを考えた。彼とは実は数回会ったことがある。親戚といえど、遠いから親族の集まりなどではない。彼も物書きであったからA先生の紹介で会ったのが初めだった。僕はそこで初めて彼が僕の祖父の従兄弟の家系と知ったのだ。僕がS氏について知ることは、僕と同じく物書きだという他に池上電鉄沿いに居を構えることぐらいしかない。

  市電に乗り継ぎ病院に着いた僕は彼を見て少し驚いた。第一気違いはもっと手に負えぬものと思っていた。彼は女中のように穏やかな表情で枕を抱き抱えるようにして座っていたのだ。病室に付き添った院長に僕は尋ねた。
「気違いというのは、こんなものなのですか。以前の彼よりかえって大人しいと見えますが」
院長は少し考えて、
「気違いにもいろいろありまして、例えばパラノイアというのは───」
彼はそこで言葉を切った。
「まあ、静かにしてみてください。説明せずともじき判るでしょう」
よく聴けば、S氏は穏やかな表情の下で何かつぶやいているらしかった。僕は文筆家の癖もあってそれを書き記すことにした。院長曰く、いつ発狂しても不思議ではない、僕の安全のためにも付き添ってくれるとの事だった。僕達は彼の床の横に椅子を二つ並べて相槌を打ちながら彼の話を聴き始めたのだ。
  するとS氏はこちらを向いて微笑んだと思うと穏やかに語り出した───

  昨年のことです。帝都は先の大震災で混乱を極めていました。本来ならばああいう時は自宅から出ない方が良いのですが───甲府にお住いならご存知ないかも知れませんが火が飯田町から両国、浅草まで廻ったのですよ。(無論僕は新聞でその事を知っていたし、甲府にも火はあったので応答しようとした。しかし院長はそれを制し、ただ今は彼の話を聴くよう促した)
文筆家根性というのは我ながら恐ろしいものです。流石に神田に向かうのを諦めた私は淀橋に向かうことにしたのです。これも我ながらの狂気ですよ。なかなかの距離ですが私はたちまち大久保まで着くとそこから西の方へ進んで行ったのです───あなたは私の人格をお疑いになるかもしれない。しかし人間というのはこういう時に変に気が浮くものです。それは人間を書いてるあなたにもお分かりでしょう。私は遠出のついでに───これもあなたはご存知ないでしょうが、地震の前年に荻窪の停車場の西に西荻窪という停車場が置かれたのです───そこを少しばかり見物してみよう、こういう気分になったのですね。
  停車場はなかなかの賑わいでした。荻窪と違って市電も通りませんからね。私は片田舎、そうですね、ちょうどあなたの甲府のような、そんな町だと思ったのですがね。(僕は流石に反論しようとしたがまた院長に止められた)なかなかの賑わいでした。賑わい、と言いましたがそんな楽しい文字は適しませんね。ただ行楽に来ているのは私だけでしょう。時折地面が揺れるたびに人々は恐怖していました。そのなかに手帳を広げひたすらに文を記す私はどんなに異様だったか、言うまでもないでしょう。
  ただ、異様なのは私だけではなかったのです。各々が恐怖する中、たった一人ぽつりと立っている少女がいたのです。歳は十一二くらいと見えました。異様でした。なぜこんな幼い少女が───あるいは人々を救うために現れた観音菩薩のようにも思いました。私は少女に文学的美しさをみたのです。市井に馴染まない表現ですが、あなたならお分かり頂けるでしょう。
あなたは田山先生の仕事のことをお考えでしょう。しかし断じて言いたいのは私は少女病患者ではないのです。私が少女に関心を持ったのは後にも先にもこれきりです。気がつけば私は彼に話しかけていました。
「君、親御さんは」
彼の回答は不明瞭でした。学校や年齢、あるいは好きな食べ物は、などと当たり障りのない質問を重ねましたが明瞭な回答はありませんでした。そこで私は彼の名前を聞いたのです。少女は少しの沈黙の後、答えました。
「はとば、つぐ」
はとば───聞き慣れない苗字でしたが、私はすぐに鳩羽という文字が浮かびました。彼の厭世的な表情から、私は鳩の濡羽を連想したのかも知れません。
  私が帰ろうとすると彼はひょこひょことついてきました。少女は身寄りのないものと思いました。所謂震災孤児というものです。私は仕方なくこの娘をしばらく自宅に置く気になったのです。いや、あなたには隠すこともあるまい、この美しい少女を置けることに私は悦びを感じていました。
  そこから同居生活が始まりました。文筆家は平時は書斎を年中出ませんから、彼の面倒を見るに不自由はありませんでした。同居を続けるうちに、彼のことも少しづつ分かって来ました。つぐは納豆が好きなのです。私はあの粘着する食べ物を好みませんから、こんな小さい少女がそれを美味しそうに食べるのが少し不思議だったのですが───またつぐは舶来物にも興味を示しました。うちにはフランス製のピアノがあるのですが、一度弾いてやったのです。つぐは嬉しそうに音に合わせて揺れていました。それから私は原稿に区切りがついたらピアノを弾いてやることにしたのです。

  そんな生活をしているうちに、私はふとこれで良いのか自分を疑いだしました。これは、誘拐ではないだろうか、と。地震の直後は彼の身の安全の保持、あるいはつぐは口数が少ないですから、あのまま放っておいたら自警団に殺されるかもしれない───そんな大義名分がありましたが、もはやその段階ではないように思いました。そろそろつぐの親族を探さねば。そう思い、つぐを連れ出すことにしたのです。つぐを家から出すのはこれが初めてでした。私とつぐは五反田まで歩いて行ったのです。五反田の山手線の停車場の辺りで───ここからは院長にお聞きになってるでしょう。私は少女を監禁したかどで警察に捕まったのです。

  S氏は続けた。
「私はてっきり獄に入るものと思っていました。それがなぜ癲狂院に?先程も申しましたように、私は少女病ではないのです。つぐがどうなったかも気になる。ですからここを出して頂きたいのですが。入院料は帰宅のあとでとどけますので」
院長は小さな声で私に言った。
「彼の症例は困ったものです。その少女の幻̀覚̀がここにも見えていれば、彼も少しは気の安らぐと思うのですが───」
S氏はそれを聞き取るやいなや、抱えていた枕を院長に投げつけた。
「幻̀覚̀!バカを言え!つぐはいる!まるで幽霊みたいに言うな!」
叫んだあとで、S氏ははっとして、申し訳なさそうに居直した。
「………あいすみません。お恥ずかしいところをお見せしました。しかしあなたにもいずれ分かって頂けるとおもいます。ほら、ご覧ください。(彼は大事そうにものを取り出す仕草をした)これはつぐの帽子です。なんでも、舶来と見える。つぐの趣味は家庭のものなのかもしれませんな………この帽子も返さないといけないのです」
  彼が掴んでいたのは黒い帯だった。発狂して手に負えない時に体を固定するものだろう。
ふと床を見るとS氏の手帳が落ちていた。さっき枕と一緒に投げたのだろう。拾い上げると、くせのついた頁が自然と開いた。

 

府内(淀橋ヨリ西)ニ住ミタル少女ノ話
彼ハ歳十一二ナリ、彼ノ容ボウハ鳩ノヌレハノ如シ、ソノ無垢ナルハ柳ノ如ク、マタ妖麗ナリ………

 

  はっとして視線を上げると、S氏はこれまでになく穏やかな(少々不気味ですらあった)表情でこちらを見て微笑んでいた。
「あなたがたは、つぐはいないと仰られました。いえ、直接そう仰ってなくても、そうお思いになっていることでしょう。しかし、見ていると良いですよ。つぐ───西荻窪のつぐのことを皆が認める日が来ますから………」
彼はそう言うとまた前を向き、目をぱちくりさせて静かにつぶやいた。
「今はつぐのことだけが気がかりです………」

(完)

平成30年3月29日